おしもゆ
推し、燃ゆ を読んだ感想
といっても深い事とかちゃんとしたことは言えないけど思ったこと残しておく用
(ネタバレとか気にせず書きます)
「推し」という身近な言葉がテーマなこともあって周りにも芥川賞受賞後(前でも)読んでる人が多くて
理解出来る部分もあるけどしんどい
みたいな感想をよく見かけた印象。
決して「面白い」作品ではなくて、でも「推し」という存在がいる人にとっては何かを思わずにはいられない。そんな(どんな)話。
「推し」がいない人がどういう感想を抱くのかは気になる(けど調べはしない)。
うちの父は多分理解出来ないだろうな~~と思った。推す事と、SNSのスピード感とか。
(朝井リョウさんの「何者」を読んだときはツイッターをしていなかったから、ツイッターの表現がピンとこなかった私)
推しがファンを殴ったことで炎上したところからはじまる話。
(個人的に「炎上」って、その人の発言した事が批判の対象になって関連SNSが広まる事だと思ってるから、殴るという行為で炎上っていうのは直結しなかった、けど まいっか)
朝起きたら世界が変わってる、という事はよくある事だから最初から「あぁ…」ってなった。それは
キャッツが東京くることが決まった朝だったり
ハケンの品格出演が決まった朝だったこともあれば
解散説が記事になった朝もあったし
Snow Manが増員してることもあった。
(日付をまたいで30歳になった日の夜、30年生きててその人生ほとんどSMAP好きで生きてるってすごいな!ってなんか改めて思いながら眠って、母の「SMAP解散だって…!」という言葉で目覚めた誕生日の朝。一生忘れない)
3ページ目でいきなり「わかる」となった表現が出てきた。
あたしは触れ合いたいとは思わなかった。現場も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。
私は認知されたい欲が無いタイプなので、そーなんよ!!!となった。
生まれてきてくれてありがとうとかチケット当たんなくて死んだとか目が合ったから結婚だとか、仰々しい物言いをする人は多い。(略)調子のいいときばかり結婚とか言うのも嫌だし、<病めるときも健やかなるときも推しを推す>と書き込んだ。
私か?と思った。なんか心のなかには色んな気持ちがごちゃごちゃしてて、パレード開催してるときもあれば丑の刻参りか?みたいな気持ちもあったりして、
喜んでる反面悲しんでる人もいるかもしれないとか、その逆も然りで、感情的になってるツイートを誰かに見せる必要も無いのだけど感情は揺さぶられていますよ、という証明を残したくて
わかる人にはわかる、みたいな表現をしちゃうときの感じ。
これが5ページ目。こんなテンポで刺さってどうする?ってなった。
推しは「まあ」「一応」「とりあえず」という言葉は好きじゃないとファンクラブの会報で答えていたから、あの返答は意図的なものだろう。
ここ!!!!!!
ここは最初に忘れたくなくてメモに残した。
世間の人からしたら反感を買ってしまいそうな態度でも、ファンだから、ファンだけはちゃんと分かってるよ、と思う気持ち。思いたい気持ち。そんな不器用なところすらも愛おしく感じてしまう気持ち。
あーーーーーーーー(頭抱え)
そうなんだよなんかさ、知らない人はテレビや週刊誌で切り取られた表面的な部分を受け取って「いやな人」と思うし、それで「あの人ってこういう人よね」とか「あの事件ってこうなんでしょ?」と好き勝手話して、ファンに「どういう事なの?」とか聞いてきたりする。
入ってくる情報はあなたたちと同じだからそれ以上の情報は持ってない、
でもこの発言にはおそらくこういう意図があって本当はこういう事なんじゃないかなと思う…とかまで説明したいけどそこまで話すと「オタク必死かわいそうキモい(笑)」になるよねと思うから
「さあ…どうなんですかね…」としか答えられないあれ…(蘇る過去のあれこれ)
なんの話だったっけ?
とにかくなんかこの、ファンは分かってるんだけどな、という気持ちを現してるようですごく残った文だった。
そしてここで、主人公(あかり)が推しの発言をルーズリーフに書き起こし、CD・DVDは保存・鑑賞・貸出用に購入して出演番組は繰り返し見る
「推しという人を解釈する」タイプのオタクだということがわかる。
私はその時その時わーって盛り上がるタイプでデータとか発言とか覚えておくタイプじゃなくて、ツイッターで大手の方とかが「これはあの時の発言だね~」と雑誌の写真(有り難いけど恐らく著作権に引っ掛かる複雑なあれ)を載せていると、なんで覚えていられるんだろうと思っていたけどこういう風に発言すべてを自分に落とし込むタイプの人もいるんだな、そしてそれが苦になっているわけじゃなくむしろそれが呼吸になる人がいるんだということを知った。
と思ったら「アイドルとのかかわり方は十人十色で」といえ言葉がくるので、「ひぇ!」となった。色んなタイプの人がいるけど関係ない人からすると「オタク」でまとめられるから、困っちゃうけど。
ラジオをまとめたブログ(リアル)からもあかりが推しの言葉を書き起こすのに慣れてるのがなんか伝わってくる。
(余談だけど、ラジオの受け答えを見て私はきっと真幸くんのファンにはならなそうだな、と思った)
ただ、わからないなりに、それが鳩尾を圧迫する感覚は鮮やかに把握できた。これからも推し続けるのとだけが決まっていた。
「鳩尾を圧迫する感覚」わかる。
トレンドワードに推しが関連してるであろうワードが入ってるとぎゅってなる。
いいこと?悪いこと?って一瞬の間にドキドキする。
でも何があっても好きでいたい、いられるよね?いるんだろうなって思う。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。
そうだね!!!!!!!!!
もうこれはなんてわかりやすい言葉だろうと思った。そうそうそうそういうもんだよねーーーー(あかりと握手)
「ファンかわいそう」とか言われるけどファンはそういう部分だって魅力的だと思っちゃうからファンなんだよ。ごめんなさいね。
…と、ここまでこのペースで書いてこのままじゃストーリーなぞって共感してるだけだなと思った。まいっか(二度目)
推し活以外のあかりの出来なさは、私は少し分かる部分もあって苦しかった。
特にバイト先でのなかなかうまく立ち回れないところは、前職の飲食店でうまく出来なくて病む寸前までいって未だにトラウマなので辛かった。宇佐見りんさん、私の事見てたか?
それと、人気投票の場面。
(その瞬間のために逆算して行動したのに直前になって家族の邪魔が入って施行出来なかった時のストレスわかる。)
人気投票って本当にどうにかしてほしい。
特に今界隈は某大賞のせいでざわざわしてしまっているから特に。
投票数=人気 じゃなくて、そこにオタクの財力が関わってしまうのはもうだめだよ。
「頑張るから応援してね」と言うのも辛かろう(辛いと思っていてほしいという願望もある。)
今回は事件があったから真幸くんが最下位だったけど、事件が無かったら事件を起こさずとも最下位になってたであろう四位のミナ姉とそのファンの気持ちを考えたら悲しい。
人気があってもなくても、ファンにとっては推しが一位なんだよ。
「人気」順が出続ける限りは永遠に誰かは悲しんでしまうのはやるせない。
某大賞は今年でやめてほしい、卒業したいとかじゃなくてもう機能してない順位なので。
「私がもう一枚買っていたら」「それをファン全員がやっていれば」
そんな悲しいことで後悔させて、何がしたいんだろうと思うよ。
後半の流れは、まだ私は経験の無い領域で、でももしかしたらいつかその日が来てしまう可能性だってあるから怖かった。
(特に某中村くんはこういうことをやってしまいそうな“キャラ”なので)
インスタライブというファンが楽しみにしている(だろうという想像がつく)コンテンツで発表するのはダメだよ真幸くん…。
でも一番いい発表って何なんだろう。
週刊誌にすっぱ抜かれるとせめて公式から知りたかったと思う。
公式から出たら本人の口から聞きたかったと思う。
本人から聞かされると、楽しみにしていた時間で悲しまされるのはやめてと思う。
結果:悲しい 辛い
は変わらないんだし正解は無いんだろうか。
(週刊誌にすっぱ抜かれるのだけはやめてほしい)
今まで推してきていた人の人生をこの先知ることが出来ない絶望と
その先を隣で見られる人がこの世のどこかには居るという現実。
アイドルだって分かってるけど、そう言うことに直面した時に“分かって”はなかったことに気付くんだろうな。
最近は、脱退・引退だけではなく、この世からいなくなってしまう事もあり…
その後の生活すら想わせてもらえない辛さは想像を絶する。どうかその選択だけはしないでと思う。
推しがコロナに感染したとき、若者からは死者がそこまで出ていないとはいえ、発信が無い日々が続いたので“もしも”を考えてしまって、結構きつかったな。
復帰できて良かった…。
推し、燃ゆを読んだ人のなかで挙げてる人が多かった「推しは背骨」という表現。
いきなり例えを代えるなよだけど、私はクリスマスツリーに例えてみた。
私にとって「推し」はクリスマスツリーの飾り。
たくさんキラキラ飾ってツリーを楽しくしたい。人によってはごちゃごちゃし過ぎじゃない?って思うかもしれないけど私はたくさん飾るのが好き。もしどれか飾りが壊れてしまっても、他の飾りで埋めるからツリーはツリーでいてくれる、という感じ。
木が家族で、葉っぱは服とか食事とか。
あかりは木が真幸くんで、真幸くんのための活動が葉っぱで、それを楽しくするのがSNSとか自分への落とし込みだったのかな。
葉っぱの部分が推しに当たる、という人もきっといるんだろう。
どの推し方が正解とかはなくて、「十人十色」だから成り立ってる。
だけどやっぱり木の部分が推しになってる人の不安定さは、怖い。
「推しが人になった」
推しは人だけど(人じゃない場合もあるけど)
推しだから推せるんであって、人は推せない
でもずっと推させてほしいなんてエゴは押し付けられない。
自分(たち)が推さないと、推しは推しとして活動出来ないけど
ずっと推させてもらえる保証はない。
推すことはこっちの人生だけど、推しには推される以外の人生という選択が出来てしまう。
最近では、スクープのせいでさっきまで推していた人がいきなり活動休止になってしまうことがよくある。
スクープした人にとってはたくさんいる人の一人で、世間の人は名前も知らない誰かでも
その人を推すことで生きていられる人もいるんだって、そういうことまで考えてほしい。
(スクープする側にも人生があるから難しい)
推し、燃ゆがオタク界隈で話題の作品ではなく芥川賞受賞したことでたくさんの人の目に触れられる事になったことが
推しというものを持たない人が、推すということの意味を知ってくれるきっかけになるといいなと思う。
私の推し、人より少しだけでも幸せな人生を歩み続けてね。