空気に触れる言葉

『劇場』というタイトルからして絶対に読みたいなと思っていた作品。
文庫化待ってました!
冒頭読んだときは、永田の脳内思考が書かれている内容にこれ読むのしんどいやつか?と思ったけど、沙希と出会ったとこあたりから読みやすくなったのは慣れなのか、永田の精神が変わったことの表れなのか。

全体体にも、『火花』より読みやすくて、前作が読みづらかった人(という声を結構聞いたの)でも読めるんじゃないかなと感じました。
なにより個人的に、お笑い芸人さんよりも演劇に携わる人が身近だったっていうのも
イメージしやすかった理由かもしれない。

 

習慣でネット上の評判も読んだけど、
「共感できなかった」みたいなコメントがあって、

いやこれは共感を呼ぶ作品じゃないだろ、と思い、そういう感想に自分が思ったことが引っ張られちゃいそうだったからあんまり読まないことにした。
考察を見て、なるほどそういう捉え方もあったんだなって思えるのは好きだけど
誰でも簡単に投稿できる感想サイトは、参考にするのはいいけど良し悪しだなぁと。

 

実写化ももう決定してる作品。
キャストを知らずに読んだら誰を想像してたかもうわからないけど
とりあえず沙希ちゃん:松岡茉優ちゃんはすごく想像できる。
なんでも笑顔で受け入れてくれそうな感じ。小林司の奥さんだった茉優ちゃんのイメージ。
永田:山﨑賢人くん、はどうなんだろう。
個人的に永田には、人としての魅力がひとつもないくらいの人でいて欲しいというか。
賢人くんだと、背が高くてかっこいい、という要素が一緒に暮らす価値に値するなって思ってしまうから周りの人がまったく理解出来ないけど、沙希ちゃんが一緒にいる人、っていう感じにしてほしかった。。。
演技と演出とでそこはどうにかするんだろうけど・・・どうなのかなって。
どんな風にするのかちょっと気になるところ。
喋り方も雰囲気も、梨とりんごのエピソードからも永田は思いっきり又吉さんだろ!と思いました。
(人としての魅力が無い人って言ったのにすごく失礼だけど)
あんまり近寄りたくない人感・・・・出るのかな。うーん。。。
そこまでして「かっこいい」ことを隠す必要のある役をやる意味が・・・あるかな?
って思っちゃうけど、まぁ本人からしたら役の幅広げたいよねーーー
まぁまだ見ても無い実写についてのコメントはしなくていいか(今更)

 

 

一回だけ、高校時代の延長で地下の小さい劇場を借りて舞台をやったことがあって。
脚本は高校時代にお世話になった先生。当時はみんな仲良くて、やった舞台も最高で
(今でも私はあの舞台は最高だったって思ってる。)
盛り上がって、卒業してもみんなで舞台やろうね!!!!!ってなって。
まぁ実際は全員集まらなかったけど。先生が学生時代にやっていた仲間も加わって。
というか、その学生時代にやってた劇団の延長だったんだよね。
その時点で、なんか違うな、って気付くべきだったんだけどきっと当時は盛り上がってたんだ。
とにかくその一回で、私にとって最後の舞台は個人的にはちょっとうまく出来なくて。
作品としてもあまり好きになれなかったところもあったんだけど、
それにしても、もう少し、もっとなにか出来たんじゃないかっていう気持ちとか
言ってしまえばメンバーの人たちとあまり馴染めなくて変な壁を作ってしまったところとか
(同級生の子たちともちょっと勝手に諍いを起こしたというか、うまく接することが出来なくて)
あとはもうタダ当然(というかタダ)で知り合いにチケットを配ったので
実際に売り上げたチケット金額はたかが知れてたんじゃないかな。知らされもしなかったけど。
結果大赤字で、主催した先生がかなり負担したって聞いたけど。知らされなかったからなにも出来ないし。
事前にちょっとだけお金は払ったけどね。うまく行けば戻ってくるって先生は強気だったけど、まぁ無理な話。
その時の劇場の雰囲気とか、暗さとか、稽古してたときの公民館の様子とか、引きずってる後悔とかそういうのがドバドバ出てきた。でもそれを知ってたからこそ想像できた部分もあるんだったらあの時舞台に立ったことも少しは役に立てたんだろうか。
でもやっぱりこうやって思い出してしまうと自分の人生であの期間のことは消せない過去なんだなって思う。
納得のできる舞台で終えたかったっていうのは、いつまで思い続けることなのかな。
(っていう流れから今うちの部どうなってるのかなって調べたら頑張ってるみたいで安心しました)

 

あとは友達が一人、よく小劇場で出演していてそれを見に行ってたのも大きいかな。
新しいことをやってやりたいんだ、みたいな気持ちが現れてる舞台づくりとか
こんな小さい劇場にいる才能のある役者感とか
ほぼ知り合いとか家計者で埋め尽くされたんであろう客席とか
こんなにも舞台が予定されてるのか、と思うチラシの枚数とか。
最近は大分、テレビにも出られなくなった役者の行き場所が舞台だ、みたいな考え方は改められてきたけど
小劇場を見ていると、役者を目指してる人はこんなにも居て、その頂点がやっぱりテレビドラマで活躍する俳優さんなのかなぁ、という気もする。
(もちろんずっと舞台でてっていう人もいるんだろうけど)

その、舞台をやっているお友達に劇団四季が好きなことを話した時に
「観たことないんだよね~」と言っていて、その言い方が穿った見方をすると
「私、そういう正統派には興味ないんだよね。もっと新しい世界のステージに立っていたい」
みたいなニュアンスがあって。でもどっちも観てる(と言えるほどでもないけど)側からすると
あれだけの人数を感動させることが出来るステージを観たことも無くて
よく舞台に立てるなぁ、というか。なんかちょっとモヤモヤして。そしたら関ジャムで古田新太さんが
「正統派なくして、自分たちのような演劇は出来ない」「劇団四季は見ないとだめ」って言ってくださって
救われた気がしたんでした。話が逸れた。

 

なんかちょっと小劇場への愚痴っぽくなっちゃったけど、決して嫌いなわけじゃない。
そのお友達が出ていた舞台しか私は行かなかったけど、中には観て良かったなって思えるものもたくさんあった。
よく参加してる劇団のときは内輪ネタというかノリに辟易としたときもあったけど
こんな世界があるんだって知ることも出来たし、自分が少し凹んでたり悩んでた時に
それについて考えられるような内容だったりして救われたこともあったし、四季だけを観ていたんじゃ得られなかった感動もあった。
最後の出演になるかもって言われたから行った(けど実際は最後じゃなかった。最後最後詐欺だ!)
のが下北沢の劇場だったら小説に出てくる下北沢のジメジメとした空気感も掴みやすかったからそういう意味ではああいう世界を知っていて良かったなって。

色んなタイプの人がいて、劇団四季が好きで小劇場に出演している役者さんもいると思うけどああいう正統派な、人気のあるステージを忌み嫌う人たちも多いんだろうなっていう気がする。
自分はああいうやつらには分からない世界を創るんや!みたいな。

世間を人とは違う視点で見ているんだっていう自負。
その自分の受け止め方を世間の人に知らしめたいっていう優越感にも似た感覚、なのかな。
書くだけじゃなくて、それを理解してくれて、さらに表現できる人がいないと劇団というのは成立しないんだから大変。
永田にひとりでも理解者(野原)が居たのが救いかな。
逆に、居てしまったからこそ辞める理由が出来なかったのかもしれない。
書けない人よりは才能があるのに本当に才能がある人と比べてしまうと才能がないという立場はとても苦しいだろうな。
そして自信を持っていないとやっていけない世界なんだろう。
認めてくれる人がいても、自信が無いと認めてくれているという事に理解が出来なくて
本当はそんなこと思ってないくせに、ってなってしまうのかな。

永田が、本当は沙希を傷つけたくなんてないのに無性にイライラして傷つけるようなことを言ってしまい、それでも沙希が怒るんではなく、そうなってしまう永田のことを理解出来ない自分を責めてしまうのが苦しかった。
安定してる人間なんて少ないけど、もうほんとすごく不安定な立ち位置で生きてる人たちなんだな。。

青田さんとのやり取りは、実際青田さんの小説読んでないし例えが高尚過ぎて理解出来ない部分もあったけど、あんな風に言いたいことをそのまま言葉ですらすらと言える言葉の使い方が羨ましかった(実際は時間をかけて又吉さんが紡いでいった言葉なんだろうけど)
イライラとした気持ちとか反論するときって、いつもよりも筆が乗る(キーボードを打つ手が弾む?)のはちょっとわかる気がする。感情に任せてパチパチと。返事が来る前にどんどん書いていく感じ。
読む方の気持ちもハラハライライラしてた。

永田と沙希ちゃんの、何気ないやり取りとかが好きだった。
二人にしか分からない空気というか。笑いながらやめてよーって言われてもしつこく続けるといういちゃつき。
二人の間に性の空気が無かったのもなんかよかったな。なんならそういう関係にはならなかったと言われても
あ、やっぱり?って思えるような。それでもいいなって思える。
書評?で、沙希の心が分からなくて・・・って書いてる人がいたけどそれはわからないままなのが良いんだと思った。
本当に楽しかったのか、家賃もすべて出してクズを養っているような状態をどうして許せたのか。
読者は永田視点のまま、沙希の本当の気持ちはずっと分からないままでいいんだと思う。
7年(らしい)も一緒に居た、っていうのがすべて事実なのかなと思う。

変わりたいけど変わり方が分からない永田も、
変えたいけど変わってほしくなかった沙希ちゃんも、なんて人間なんだろう!
こんな生活じゃだめだと思うから変えようするのも、
稼ぎもなくて何考えてるのか分からなくてふらふらしてて家にお金入れないやつを
クズだからって捨てるのも、傍から見たらシンプルなことでなんで行動しないのって
でも本人たちにしか分からない、そこから動けないしがらみというか思い出とか感情とかそういう色々あって、変えるのってなかなか難しい。

恋とか愛情じゃなくて、愛着とか思い入れとかそういうの。
ラストの二人で読み合わせをしてたときは確かにお互いがお互いを
一番に理解しあっていたんじゃないかな。・・・なんて陳腐な表現なんだ。

 

『火花』もだったけど、又吉さんはやり取りのなかに絆や繋がりや関係性を見出だす方なのかな。

 

永田が本当はそんなことしたくない、するべきじゃないと分かっていながら沙希ちゃんを傷つけてしまうところや人としてなんて不器用で生きるのが下手なんだろうと居たたまれなくなるところは読みながらきっとすごい顔をしちゃってたと思う。あちゃー・・・みたいな。

劇場というのは、楽しい・つまらない・辛い・素敵・・・様々な感情が入り混じる空間でもありそこを目指すものにとって、聖地でもあり修行場でもあり拷問でもあり。
立つものはプライベートや大切なものや時間や、様々なものを捨ててその場にいる。
なんて美しくて残酷な場所なんだろう。

そんな場所でも、そんな場所だからこそ
私は劇場がこれからもずっと好きでいたいなと思う。
金銭的な問題でどうしても好きな演目や俳優さんに偏ってしまうけど
これからも様々な舞台を観に行けたらいいな。

とにかくなんだか自分の心のざわざわしてるところをざわざわと触れられてしまったような。
読んでてすごくしんどかったけど、この作品を少しは理解できる人生で自分は良かったかなって思えたので
読んでよかったかな。