◯日後に死ぬワタシ

話題になっている
100日後に死ぬワニ

フォローして毎日見ていたら100日後が耐えられなさそうなので
たまにいいねされたツイート、やりツイートでまわってくるのを
確認するレベルで見ています。

何が、耐えられない、なのか。

楽しんだり悲しんだりして
普通に過ごしているワニさんの日常を見ている内に
その存在が自分の中で大きくなってしまったら
失ったときに自分がどのくらい悲しむのか想像が出来ない。

仲のいい友達じゃなくて、知り合いの知り合いくらいの位置でいたい。
みたいな。感じ。

死ぬことをこっち側だけが知っている状態で日常を生きている存在を見るのが
こんなに辛いことだとは思わなかった。

最近更新された、ワニさんが好きな映画の2が春に公開されると知って
楽しみだな~!!!と喜ぶやつ。

楽しみにしているものが見れないんだ。。。。
そのことを知らずに喜んでいるんだ。。。。

なんてそんなことを思っている自分も
いま楽しみにしているものが全部見られる保証なんてないんだという事に気付かされる。
そしてそれに気付いても尚何かを楽しみにするという事を続けてしまう。

楽しみにするっていうのは生きる上で重要なことで
楽しみが無いと生きるの辛いなって思う事もあるけど
その楽しみが楽しめない未来がある事も辛い。
それを自分が楽しみにしてたと知ってる人がいないのも辛い。

もし知っててくれたら、こんな風になったよ、って教えてくれるかもしれないし
そしたらそれをもしかしたら天国で知れるかもしれない。

死んだ後に自分がそれを楽しめなかったことに気付いて悔しくなれたりするんだろうか。

前までは、とりあえず自分が死ぬまでに20世紀少年は終わらせてほしい、と思ってた。
けどそれはなんとか達成された。

私が今楽しみにしてることって言ったら
とりあえず近場の事で言うと
金曜日のMステトラジャ出演
土曜日のしめげんらじらー
来週のジャンプ(今週もまだ読んでない)

未来の事で言うと
トラジャのデビュー
SixTONESの活躍
劇団四季アナと雪の女王(オーディション結果含む)
劇団四季の新作
SMAPの再結成(希望)
ONE PIECEの結末
ガラスの仮面の結末

四季関連はもうきりがないから上げきれないけど
WIKIとCFYはもう一度は絶対に見たい。
最後の2つは私だけじゃなくて作者さんの問題もあるからなーーー
というか2つだけじゃない。私以外だって誰に何があるか分からない。

このうち、すべてを自分が見届けられる可能性はどれくらいあるんだろう。
もしかしたら今週のどれかも、叶わない未来だってあるのかもしれない。

なんとなく自分は年を取るんだろうな、と思って生きてるけど
数秒後に自分が生きていない未来がある可能性だってある。

今まで何人の人が、まさかこの後この世からいなくなるなんて思わずに
去ってしまったんだろう。
いくつの楽しみが楽しみでないまま消えてしまったんだろう。

未来に楽しみを持つことは、すごく贅沢で傲慢なことなのかなって思った。

明日やろうは馬鹿やろう、っていう言葉
あんまり好きじゃないんだけど
(でもしりとりで元太君が言ってたからちょっと好きになった←)

明日やろ、って思っててそのまま明日が迎えられないなんて
思ってないから出来る事なんだろうな。

でもそれは裏を返すと明日死ぬと思って生きろって事になるのかなって。
明日死ぬかもしれないから迷惑かけないために仕事はキリが良いところで終わらせておこうかな、とか
明日死ぬかもしれないから買った漫画や雑誌は生きてる今読んだ方がいいよ、とか
ちょっと大袈裟だけどでも多分そういうこと。
(いま死んだら読まないまま捨てられる雑誌のなんと多い事か!)

それで、明日死ぬかもしれないから伝えたい気持ちは伝えておいた方ってことになるのかな。
明日じゃなくて将来いつかもしかしたら伝えようと思っていた気持ちを
伝えないままでいるのは心残りになるんだろうか。
でも、すぐには伝えられない思いってあると思うから難しい。
明日死ぬことが分かってるなら伝えられる気持ちもあるかもしれない。
玉砕覚悟だったら、そっちの方がいっそ伝えやすいかもしれない。
でも伝えられる方も困るだろうし難しい。
そう、明日死ぬかも精神で急に思いを伝えられて困る人の事を考えたら
困らせるくらいなら伝えないままでいよう、と思う事もあるかもしれないな。


先の事を考えて今をつまらなくしてしまうのは勿体ないなって思う。
よく愛犬の話をしていると
「死んじゃったと気が辛すぎるから、うちはペット飼えないな」
っていう人がいる。その気持ちも分かるから否定はしないけど
そうなると飼ってる人たちがまるで死んでも平気だから飼ってるみたいだなって思う。
そんな恐怖は日々感じてる。友達わんちゃんが毎年減ってしまって実感する。
ちょっとでも動いてないと焦る。家族からの連絡が少しでも途絶えると何かあったかと不安になる。
毎日毎日もしかしたらいつかきっと急に・・・・って不安になるし
かわいいなぁって思えば思うほどもしもの時を考えて辛くなる。
でも、それを怖がってこの子たちと一緒に過ごさない人生を選ぶよりは
どんなに辛くてもこんなかわいい子たちと出会えた人生を選びたい。
他の人に飼われていたかも、なんて考える方がよっぽど嫌だな。

・・・なんの話だったかな。

友達から教えてもらったことだから曖昧だけど
伊坂幸太郎の小説に、もう世界が終わることが分かってる中で
それでも鍛え続けるボクサーに、記者の人が
「なんでもう終わるのに頑張るのか」みたいなことを聞いたら
「何歳まで生きるつもりで生きてるのか」って聞いたっていう。

あーーーーーーーそうだね。
やっぱりきっと80歳くらいまで生きるじゃん?って思いながら生きてるよ。
そんな保証ないのに。
でも、40歳くらいまで生きるつもりで生きても多分同じかもしれない。
あと一週間の命だって言われたら生き方を変えるのかな。
でもそれが分かってなかったら今と同じ生活なんだろうな。

一週間の命だって言われたら何をするかな。
でも、一週間の命だって言われた翌日に災害が起きる可能性だってある。

100日後に死ぬワニの最後を見れると思ってる読者のように。

私は100日後(あと47日後)に生きているだろうか。


もしかしたら楽しめない人生になってしまうかもしれないけど
楽しみだと思うものが先に先に話題になっている
100日後に死ぬワニ

フォローして毎日見ていたら100日後が耐えられなさそうなので
たまにいいねされたツイート、やりツイートでまわってくるのを
確認するレベルで見ています。

何が、耐えられない、なのか。

楽しんだり悲しんだりして
普通に過ごしているワニさんの日常を見ている内に
その存在が自分の中で大きくなってしまったら
失ったときに自分がどのくらい悲しむのか想像が出来ない。

仲のいい友達じゃなくて、知り合いの知り合いくらいの位置でいたい。
みたいな。感じ。

死ぬことをこっち側だけが知っている状態で日常を生きている存在を見るのが
こんなに辛いことだとは思わなかった。

最近更新された、ワニさんが好きな映画の2が春に公開されると知って
楽しみだな~!!!と喜ぶやつ。

楽しみにしているものが見れないんだ。。。。
そのことを知らずに喜んでいるんだ。。。。

なんてそんなことを思っている自分も
いま楽しみにしているものが全部見られる保証なんてないんだという事に気付かされる。
そしてそれに気付いても尚何かを楽しみにするという事を続けてしまう。

楽しみにするっていうのは生きる上で重要なことで
楽しみが無いと生きるの辛いなって思う事もあるけど
その楽しみが楽しめない未来がある事も辛い。
それを自分が楽しみにしてたと知ってる人がいないのも辛い。

もし知っててくれたら、こんな風になったよ、って教えてくれるかもしれないし
そしたらそれをもしかしたら天国で知れるかもしれない。

死んだ後に自分がそれを楽しめなかったことに気付いて悔しくなれたりするんだろうか。

前までは、とりあえず自分が死ぬまでに20世紀少年は終わらせてほしい、と思ってた。
けどそれはなんとか達成された。

私が今楽しみにしてることって言ったら
とりあえず近場の事で言うと
金曜日のMステトラジャ出演
土曜日のしめげんらじらー
来週のジャンプ(今週もまだ読んでない)

未来の事で言うと
トラジャのデビュー
SixTONESの活躍
劇団四季アナと雪の女王(オーディション結果含む)
劇団四季の新作
SMAPの再結成(希望)
ONE PIECEの結末
ガラスの仮面の結末

四季関連はもうきりがないから上げきれないけど
WIKIとCFYはもう一度は絶対に見たい。
最後の2つは私だけじゃなくて作者さんの問題もあるからなーーー
というか2つだけじゃない。私以外だって誰に何があるか分からない。

このうち、すべてを自分が見届けられる可能性はどれくらいあるんだろう。
もしかしたら今週のどれかも、叶わない未来だってあるのかもしれない。

なんとなく自分は年を取るんだろうな、と思って生きてるけど
数秒後に自分が生きていない未来がある可能性だってある。

今まで何人の人が、まさかこの後この世からいなくなるなんて思わずに
去ってしまったんだろう。
いくつの楽しみが楽しみでないまま消えてしまったんだろう。

未来に楽しみを持つことは、すごく贅沢で傲慢なことなのかなって思った。

明日やろうは馬鹿やろう、っていう言葉
あんまり好きじゃないんだけど
(でもしりとりで元太君が言ってたからちょっと好きになった←)

明日やろ、って思っててそのまま明日が迎えられないなんて
思ってないから出来る事なんだろうな。

でもそれは裏を返すと明日死ぬと思って生きろって事になるのかなって。
明日死ぬかもしれないから迷惑かけないために仕事はキリが良いところで終わらせておこうかな、とか
明日死ぬかもしれないから買った漫画や雑誌は生きてる今読んだ方がいいよ、とか
ちょっと大袈裟だけどでも多分そういうこと。
(いま死んだら読まないまま捨てられる雑誌のなんと多い事か!)

それで、明日死ぬかもしれないから伝えたい気持ちは伝えておいた方ってことになるのかな。
明日じゃなくて将来いつかもしかしたら伝えようと思っていた気持ちを
伝えないままでいるのは心残りになるんだろうか。
でも、すぐには伝えられない思いってあると思うから難しい。
明日死ぬことが分かってるなら伝えられる気持ちもあるかもしれない。
玉砕覚悟だったら、そっちの方がいっそ伝えやすいかもしれない。
でも伝えられる方も困るだろうし難しい。
そう、明日死ぬかも精神で急に思いを伝えられて困る人の事を考えたら
困らせるくらいなら伝えないままでいよう、と思う事もあるかもしれないな。


先の事を考えて今をつまらなくしてしまうのは勿体ないなって思う。
よく愛犬の話をしていると
「死んじゃったと気が辛すぎるから、うちはペット飼えないな」
っていう人がいる。その気持ちも分かるから否定はしないけど
そうなると飼ってる人たちがまるで死んでも平気だから飼ってるみたいだなって思う。
そんな恐怖は日々感じてる。友達わんちゃんが毎年減ってしまって実感する。
ちょっとでも動いてないと焦る。家族からの連絡が少しでも途絶えると何かあったかと不安になる。
毎日毎日もしかしたらいつかきっと急に・・・・って不安になるし
かわいいなぁって思えば思うほどもしもの時を考えて辛くなる。
でも、それを怖がってこの子たちと一緒に過ごさない人生を選ぶよりは
どんなに辛くてもこんなかわいい子たちと出会えた人生を選びたい。
他の人に飼われていたかも、なんて考える方がよっぽど嫌だな。

・・・なんの話だったかな。

友達から教えてもらったことだから曖昧だけど
伊坂幸太郎の小説に、もう世界が終わることが分かってる中で
それでも鍛え続けるボクサーに、記者の人が
「なんでもう終わるのに頑張るのか」みたいなことを聞いたら
「何歳まで生きるつもりで生きてるのか」って聞いたっていう。

あーーーーーーーそうだね。
やっぱりきっと80歳くらいまで生きるじゃん?って思いながら生きてるよ。
そんな保証ないのに。
でも、40歳くらいまで生きるつもりで生きても多分同じかもしれない。
あと一週間の命だって言われたら生き方を変えるのかな。
でもそれが分かってなかったら今と同じ生活なんだろうな。

一週間の命だって言われたら何をするかな。
でも、一週間の命だって言われた翌日に災害が起きる可能性だってある。

100日後に死ぬワニの最後を見れると思ってる読者のように。

私は100日後(あと47日後)に生きているだろうか。

自分には、もしかしたらあと少しの命かもしれない
悔いを残したくない!と思って仕事を辞めてやりたかったことを始める―
というような行動力は無く。
もしかしたら楽しめない人生になってしまうかもしれないけど
楽しみだと思うものが先に先にあった方が生きてる今の人生は良くなると思うから
これからも自分はもう少し生きれると信じて楽しみを見つけて
生きていくのかな